ボンジュールかわいい
いつもありがとうございます。
羽崎でございます。
いよいよ10月に突入しました。
先日のご挨拶のような書き方だと
『ボンジュール羽崎』という芸人か
何かのようだと嘲笑されましてがく〜(落胆した顔)
まぁ今後そう呼んで頂いても
私としては一向に構わないのですがたらーっ(汗)
さて表題につきまして、
まずは『お詫び』の方から…。
メール返信、必死でやっています。
ごめんなさい、まだまだ遅れてます。
皆様からのリクエスト通りに
このパーツとこのパーツを共存させても
本当に製品として成り立つのか、
パーツの位置関係に矛盾はないか…等、
製品の仕様を確認しながらの
お見積もり算出になりますので、
込み入った仕様になると1通あたり
1時間以上かかったりしてしまうことも
ありまして…。ごめんなさい。
ちょっとだけ休憩させて頂いて、
ともすれば半年放置のこのページを
更新させて頂こうと思います。
このあと晩ご飯抜きでやりますので…。
嘘です食べます、重ね重ねごめんなさい…。
もうひとつの表題、『愛がすべて』。
この私から「愛」なんて言葉が出てびっくりしたでしょ。
単なる曲名でしたー。ブヒッ。

そう、今年もスタイリスティックスの
X’mas公演が迫ってきましたよ~。
って年代バレるわちっ(怒った顔)
数年前まで毎年観に行っていました。
演奏曲のラインナップも
いつも似たようなものですが、
みんなそれが聴きたくて行くのです。
ア~イるんるんキャンギービューエーニスィ~ンるんるん
一緒に行っていた夫が亡くなって
(おっとこれは新出情報でしたかねがく〜(落胆した顔)
それからご無沙汰だったのですが…
言っときますけど、
いわゆる「スタイリスティックス世代」
ではないですからね。
ちょっとだけ遅れてますから。私。
それでは、聴いて頂きましょう。
スタイリスティックスで
『愛がすべて』
追伸)
「テキトー」を本懐にしている私ですが
本日は少々お堅い追伸と致しましょう。
さっきちょっと夫の話を出したので、
注釈がてら私のことをつらつらと。
(誰も気にしてないでしょうが…)
そうそう、かつて通った仏語教室では、
自己紹介の折に必須とのことで
「私は未亡人」という言葉の発音を
これでもかと教えられました。
『Je suis veuve』
「ヴァーヴとヴーヴの間くらい。
ちょっとだらしない感じで
ヴァーと伸ばすのよ!」と。
まぁかなりどうでもいいんですけど。
結婚してたった4年で他界した夫。
癌でした。
痛みに耐え抜いた闘病も叶わず、
36歳という若さであっという間に
いなくなってしまいました。
亡くなって今年で丸6年ですので、
結婚からちょうど10年になります。
なので今年は結婚10周年&7回忌。
スイートテンダイヤモンドを買ってもらって
記念日ディナーを食べるはずだったのに、
本人の為の法事料理になってしまいました。

さて…。
この6年間、自分でも面白く思うくらい
何も考えずのほほんと生きてきました。
周年と年忌が重なる、私にとっては
そんな大きな節目である今年を、
節目の年だと明確に意識して過ごそう、
たぶん何かから抜け出して、
きっと新しい何かが訪れる。
…と年明けから構えていたせいか、
苦悩や困難、人の縁、情、今ある私、
いろんなものを一気に考えさせられる
1年になりました。
(ってまだ今年は終わってないけど)
おばちゃんちょっと疲れたわ…。
老け込んでる場合じゃないっちゅうのに。
もともと私は、将来のことを
あまり深くは考えないタチです。
(あ、知ってる…そうですか)
いつどこでどうなるかわからない、
そんな中で自分の未来について
あれこれと心配して気負っても
仕方ないと思っています。
目標は必要だという自覚はありますが。
何事もなく明日も元気に生きられる、
そう思っているのは自分と身内だけ。
でもどうしても自分と周りのことは
そんなふうに思いがちで、
私も御多分に漏れず…でした。
最期まで弱音をまったく吐かなかった
夫が、闘病中にたった一度だけ
「なんで俺が…」
と呟いたことがありました。
つまりそういうことだと思います。
べつに今が楽しければいい、という
考え方なわけではありません。
どうせいつかは死ぬんやし…と
卑屈になっているわけでもありません。
(まぁ卑屈にはなってないけど、
いつか死ぬしな~とは思ってます)
でも、結局はなるようになるもので、
今ある自分が
「なるべくしてなった自分」
なんだと思います。
あの手この手を使ってジタバタしても、
なるようにしかならないのだと思います。
過去にしてもそうかもしれません。
懐古や反省の念を抱くのは
とても大事なことですが、
「あの時もっとこうしていれば…」
という後悔なんてするだけ無駄、
仮に別の方法を選択していたとしても、
今と同じ自分に辿り着いているような
気がします。
こんな偉そうなことを言いながら、
私にもただひとつ、ひとつだけ明確に
後悔していると言えることがあります。
これはもうダメだ、残り数カ月は本人の
好きなことをさせてあげて下さい。
思い残すことがないように…
と医師から宣告されている状況で、
皆さんならどっちを選択されますか?
『もうあまり生きられないなら、
好きなものを食べさせてあげたい』
『奇跡が起きて治るかもしれないなら、
有機野菜や無添加食品を徹底したい』
私が選んだのは後者でした。
夫も何も言いませんでした。
ただ、この選択を、正しかったと思う
ことは今もできません。
でも、あの時もっと思い悩んでいたと
しても、私は後者を選択しただろうなー
とは思います。
「思い残すことがないように」
などという言葉はとても無責任で、
どれくらい好きなことばかりすれば
思い残すことがなくなるのか、
そこまでわかっていないなら
生き死にのかかった人間に向かって
発するべき言葉ではないと思いました。
「好きなことをして過ごしたらいいよ」
という一見前向きな言葉も、
治るつもりで闘病している人にとって
これ以上ない絶望感を与えるだけで
良いことなど何もないと思いました。
だから私は、
生きることを諦めたようなその言葉を
避けて通ってしまったのだと思います。
夫が「死」というものを連想しないよう
必要以上に私たちの数年後や老後の話
ばかりしていたように思います。
今思うと、夫が夫がと言いながら、
私自身が「夫の死」というものから
目を背けたかっただけかもしれません。
そのような立場に立たされた本人が
自分の行く末について案じない瞬間が
あるわけないですよね。
よく考えればわかることでした。
まさに究極の選択でした。
そうして後者を選んだ私ですが、
亡くなったその時になって、
「なんで好きなものを食べさせて
あげなかったんだろう」と
悔やんでも悔やみきれない気持ちに
なったものです。
でももしあのとき前者を選んでいても、
もっと摂生していれば治ったかも
しれないのに…と悔やんでいる可能性
だってあるわけで、いずれにしても
後悔する運命だったようにも思います。
亡くなる数日前に
「ビッグマックとソフトクリームと
粗挽きウインナー食べたいなぁ…」
と天井を見ながら呟いた夫の顔と声は
これからも覚えておかないといけない
と思っています。
生きるプロセスのバリエーションは
様々あるかと思いますが、
総じて「人生」というものは
生まれる場所も死ぬ場所も含めて
決まっているような気がします。
『運命・宿命』というやつです。
反省はしても後悔はしないように
今後もできる限り努めたいです。
ここまでを読み返して、
まるで私がものすごく不幸で困難な
人生を生きてきたかのような、
そしてそんな不幸せな自分を
嘆き悲しんでいるかのような、
悲観的なイメージで受け取られてしまう
書き方になっていないか、
心配になってきましたが…たらーっ(汗)
全然大丈夫なんですー。
重度にテキトーな性分のようで
何に対してもまったく悲観も不安視も
していないのですが、
だからといってこの局面で
あまりふざけすぎてしまうのも
品性を疑われそうなので、
真面目に続けます。
(もうすぐ終わりますから…)
幸せ不幸せの尺度は、
人によってまちまちですよね。
同じ出来事に遭遇したとして、
幸も不幸も感じる度合いは人それぞれ。
いかに自分が幸せか、
そしてそうなるための方法を
他人に伝授しようと躍起になっても、
誰の心にも響かないと思います。
幸せはひたすら自分で感じるもので、
決して人にひけらかすものではなく、
まして人に押し付けるものでもなく、
その対象と向き合っている時に
ただただ実感するものなんだなと
思うようになりました。
さぁ、「おまえいったい誰やねん」と
言われそうな偉そうな講釈はこのへんに
しましてたらーっ(汗)
長っ…。どこが追伸やねんと。
メインになっとるやないかと。
いや追伸です。
あえて追伸扱いにしたことに
遠大な意義を見出して頂ければ。
あーしかし我ながら長い追伸やった…。
最後までおつきあい頂いた皆様、
本当にありがとうございました。
次回より、
いつものいい加減でテキトーな
ボンジュール羽崎
何の役にも立たないメッセージを
発信していこうと思います。
よっしゃ~!
今から怒涛のメール攻撃するぞ~ダッシュ(走り出すさま)
書かなくていい夫のことまで
これだけ書いてしまったことですし、
節目の年の総決算をしたような
スッキリした気分になっております。
ただでさえ随分お待ち頂いている皆様、
余計な時間を使ってしまって
すみませんでした。
ありがとうございました。
羽崎はこれから繁忙期に備えて
遊びます。嘘です。体力を備蓄しますぴかぴか(新しい)
かしこかわいい